私とカメラの歴史│小学校~大学時代

写真
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はじめに

私とカメラとの歴史の一部についてご紹介させていただきます。

一眼レフやミラーレスは社会人になってから購入したので、今回はエントリー~ミドルクラスのコンデジの話しかしていませんのでご了承ください。。

振り返ってみると、時代や技術の変化が相当に著しいものであったことを実感させられますね。また、当時デジカメをお持ちだった方には、懐かしみながらご覧になっていただけるかと思います。

それでは、どうぞ。

小学校時代

うちの実家にデジカメがやって来たのは、小6の春でした。FUJIFILM FinePix 2600Zでした。

FUJIFILM | 企業情報 | ニュースリリース | デジタルカメラ「FinePix 2600Z」新発売

このカメラ、有効画素数200万(1600×1200ピクセル)で、記録媒体はスマートメディアだったようです(当時は今のようにSDカード一強ではなく、Sonyはメモリースティック、FUJIFILMはスマートメディア、のように会社ごとに使用している記録媒体が異なったのです。確か4種類くらいあったかな)。
ニュースリリースを見てみましたが、本体には16MBのスマートメディアが付属されていたそうですね。16MBって、今FUJIFILMのX-T20でJPEG撮って出ししたら1枚で終わっちゃうくらい。

購入にあたり、当時の「はじめてのデジカメ」的な雑誌を吟味したのですが(昔から機械大好きっ子だったため親から機種選定を任されていた)、画素数も200万画素あればすんごいハイスペックで、300万あればもうすんごいんだからみたいな書き方だったと記憶しています。
確か、30万画素くらいで写真シール(観光地にある、全部同じサイズのプリクラ)の印刷に適するよ、みたいな書き方でしたね。
プリクラサイズでしか印刷できないデジカメって……と今なら思いますが、当時は一般家庭ではまだまだフィルムカメラが圧倒的多数の時代でしたから、それでもすごかったんですよ、多分。

中学時代

この頃、ガラケーのカメラ機能は使ってはいたものの、もっぱら好きなキャラのグッズを写メって待ち受けにするくらいの用途でしか活用していませんでした。

今とは違って、写真1枚携帯で送るだけでもパケ代やばかったですからね。今でいうと通信制限ですけど、当時は実費でかかってたからね。携帯のプランでダブル定額が出てくるのはまだ先の話です。

まだ一般家庭ではフィルムカメラが主で、写真は旅行だとか、行事の時にしか撮らないような時代でした。
修学旅行でもっていくカメラも、一人あたり使い捨てカメラ2個までって決まっていました。そういう時代でした。

高校時代

らくだ、部活やめるってよ

高2の頭に今まで入っていた部活を辞めました。

わたしの高校は部活必修だったので、何かしらの部活に入らないといけなかったのですが、その部活をやめた要因の一つが、なんていうか、人間関係だったんですね。

私は別にトラブルの渦中にはいなかったのですが、周りがあーだこーだ言ってるのに巻き込まれかけていました。練習してる間ずっと中に入って仲裁。しかも揉めてる原因が(私から見てるとだけど)ほんとにアホらしいなーと思うものだったために、練習以外のことでエネルギーを取られ、部活に取り組むモチベーションまで損なわれてしまいました。

当時は私も若かったし、彼女たちも若かったってだけの話です。それだけです。

なので、今度の部活は人数が少ないか、一人で何かに取り組むことをしたかった。できれば活動日数が少ないところで。

写真部に入ったよ

そこで、春に高3が全員卒業して部員が0人になったために、写真部が廃部寸前だとどこかで聞き、写真部に入ることを決意しました。
良い写真が撮りたいとか、コンテストに出したいとか、目標らしいものは一切考えていませんでした。ただ一人になりたかっただけです。写真部、活動日数少なかったし。
……入部してみたら、私と同じく活動日数の少ない部活を探りあてた同じような魂胆の人が何人かいて、部室が不良のたまり場みたいになっていたので、それはそれで肩身が狭かったんですが。

入部してすぐ、親からデジカメを買ってもらいました。

Nikon Coolpix S500です。手のひらサイズのコンデジです。

COOLPIX S500 – コンパクトデジタルカメラ – 製品情報 | ニコンイメージング

最大710万画素、SDカード対応、手で握りこめるサイズと、200万画素、スマートメディア、男性の手のひらからすらはみ出るサイズの先代に比べると、基本性能が5年かそこらでだいぶ進化しています。

志の低い写真部

部活中は、主にスポーツ写真とか、花とかを撮っていました。
また、顧問の先生から、写真の基礎知識の講義を受けました。絞りにF値にISO、ホワイトバランスなんかです。ただ、当時はエントリーモデルのコンデジでしたし、基本はオートで撮っていたので、せっかく入れた知識がほとんど定着しませんでした。
Photoshopでの色調や傾きの修正、トリミングなんかも教わりました。これは、そこそこ自分で手を動かしたこともあり、多少は頭に残りました。

前述の通り志が低すぎて、良い写真を撮ろうとか、それこそいい機材を使おうとかは、何にも浮かんでこなかったです。私としては、出席日数が稼げて単位が貰えればよかったので。

また、当時はまだカメラという趣味が、いわゆるオタク向けのマニアックな趣味だという風潮が強く、またオタクの扱いも今より悪かったのもあり(以前はオタク≒犯罪者予備軍とか社会不適合者とか、そういう捉え方をされている方がかなりの割合を占めていた時期が本当にありましたからね。オタクの純愛を書き、世間にオタクの認知を広げた(と私が勝手に思っている)『電車男』の出版が2004年後半、映画化とドラマ化が2005年、私の高校入学が2006年ですから、まだまだです)、まだなんとなく肩身が狭かったです。カメラ女子たるワードが生まれるのは私が大学に入ってからですので。

とはいえ、先生からの「部活があるときもないときも、カメラは毎日持ち歩くように」という教えだけは当時も今も忠実に守っており、そこは素直に写真部で学んだことかなと思います。

あともう一つ、私がなんとなく撮った写真うち一枚が偶然顧問の先生の目に引っ掛かり、他の写真がB5版印刷で展示される中、全部員の写真のうちその一枚だけA3の大写しに印刷してくれてデカデカと展示され、しかもそこそこ反響が良かったために、ほんの少ーしだけ調子に乗ったりもしました。確かにその写真は今見ても、悪くはないかなっていう気持ちです。

そしてこの間、フィルムからデジタルへの時代の移行は確実に進んでいました。中学の修学旅行ではみんな写ルンですだったのが、高校の修学旅行ではデジカメ派もちらほら、みたいな時期でした。

大学時代

写真部には入らない

大学に入学したのが2009年なのですが、各サークルの勧誘がピークを迎える中、一番に見学したのは写真部でした。

が、見学しただけで加入しませんでした。

前述の通り、まだまだ写真はいわゆるオタク向けのマイナーな趣味でした。当時、ミラーレスも販売されたばかりだったらしいのですが、普通の人に聞いても「ミラーレスって何」状態だったでしょうし、もちろんカメラ女子なんてワードもありませんでした。

またこちらも前述の通り、当時はオタクへの風当たりが今よりかなり強く、おまけに写真部の紹介をしてくれた先輩方と同級生が初対面の女子相手に、初心者相手には濃すぎる会話を矢継ぎ早に仕掛けてきた(コンデジしか持ってない初心者相手にNikonの一眼用レンズ談義始めるのやめてくれ、最近発売されたCanonだかNikonだかどこだかの新型レンズのこと『知らないの!?』知らないよ、『で、あなたの作品は? え? 持ってきてないの?』じゃないよーこちとら通りがかりの見学者だよー、等々)ため、まあドン引きしました。

今でこそ、その日たまたま会った人のキャラが濃かっただけで、写真部自体の濃さは普通であったと信じたい。
でも当時としては、その知識マウンティングとオタサーの姫扱いをやめてくれと、そういう心境だったわけです。察して。

それでも写真を撮らないと

写真部がそんな感じだったので、写真と全く関係ないサークルに入ったのですが、大1の冬に変化が起きます。

卒業生の追い出し会で、卒業生の1年次からの軌跡を振り返るべく、スライドショーを上映することがサークルの恒例であることがわかったのです。
当時の1年、私も含め誰もそんなこと知らないし、多分私以外に日常的にデジカメを持ち歩いている人はいない。みんな携帯で撮ってたとしても、ガラケー全盛期だし画質は期待できない。

やばい、今からでもみんなの写真を撮らないと……!

……ほんとにこれが写真に向き合い始めるきっかけです。
そこからまめにサークルの写真を撮り出したのはいいですが、相変わらずオートです。ホワイトバランスすらいじった記憶がない。

ちなみに、大1の途中からデジカメをアップデートしてます。Nikon Coolpix S640です。

COOLPIX S640 | ニコンイメージング

最大1220万画素。ついに1000万画素の大台を越えました。

買い替えの理由が今では謎なのですが、旅行か何かで壊れて、修理代より買いなおした方が安かったからとかそんな理由だったような気がします。

海外旅行でスナップデビュー

大2の頃、初めてヨーロッパに旅行に行きました。

この話を始めると長くなるので詳細は差し控えますが、自分の中でも旅行中の写真に対する思い入れが相当強かったのは確かです。
なんせ、2週間ちょっとの旅行でSDカード9枚持っていきましたからね。当時は8GBのSDカードですらかなり高かったので、2GBとか4GBとかを買って、容量の少ない分はカードの枚数で稼ぐというやり方を取りました。

日本に帰国し、撮ってきた写真を見て、ああ、やっぱり写真撮って良かったな、としみじみ思いましたね。楽しかったことも、何気ない通りなんかも、全部が日本の日常と違うので、見るだけで旅のことが思い出されるなと。
また、その当時に出会った仲間たちと後日写真をもって再会した時に、写真を格安のサイトでいっぱい印刷している子がいて、その時に改めて写真を印刷する楽しさを知りました。その後しばらく、撮った写真を友達に配り歩く日々が続きます。

バックパッカーデビュー

本当は留学がしたかったのですが、様々な事情があり断念。じゃあ夏はバックパッカーしよう、というモチベーションだけで就職氷河期の就活をどうにか乗り切り、大4の夏、一人でヨーロッパに旅立ちました。

その際に携えた愛機が、RICOH CX6です。またもコンデジ。

CX6 / RICOHブランド デジタルカメラ生産終了製品 | RICOH IMAGING

1000万画素ではあるものの、35mm版換算で28-300mm(F3.5-F5.6)までを網羅し、マクロは1cmまで寄れ、当時のコンデジにして絞り優先やシャッタースピード優先モードまであるという、今考えてもとんでもないスペックです。

先代のNikon S640からの買い替えのきっかけは、下記です。

  1. S640のホワイトバランス補正が個人的にあまり好みではなかったので、他のメーカーを試してみたかった(S640はオートで撮影すると、暖色系の光条件時に青く映りすぎる傾向にありました。いちいちフォトショ補正するのも面倒だった)
  2. 当時、カメラや携帯などのデジタル機器は、2年に一度の買い替えで素人目でもすぐにわかるほど性能が著しく進化していた
  3. ネットで見たCX6のレビューが相当に高く、更にCX6以降は作られないことが確定していたため、その伝説級のカメラを試してみたかった

そして、その愛機を道中で水没させたために、ウイーンで購入したのがNikon S8200

COOLPIX S8200 | ニコンイメージング

一応、1660万画素です。CX6を相当気に入っていたために、苦渋の選択でした。旅行中に写真を撮らないという選択肢はなかったので。
帰国後、やはりCX6が恋しくなったため、もう一台購入しました。保険適用できないかも問い合わせしましたが、水没に関しては完全に自損だったため、保険が下りず、修理するより買いなおす方が安かったので修理はあきらめました。そして、そのCX6は、後述のオシャレ大学生2人組に、不慮の事故により地面に落っことされ、故障しました。

初ボーナスで一眼レフを買いたい

大学4年の冬、友人と2人で出かけたアメリカ卒業旅行で、日本人のオシャレ大学生2人組と出会いました。

二人ともニューヨークの街で気楽に一眼レフを構えていた。

その時彼らに聞きました。
一眼レフ、難しくない? 重くない? 高くない?

その時彼らは教えてくれました。
一眼レフで写真を撮るのは決して難しくない。オートもあるよ。
持ち歩きも、鞄に入れてさえいればいい。自分たちは大学に行くときも常に鞄に入れている。
初期投資は高いけど、そもそも私はコンデジ壊しすぎ(私のコンデジを壊したのは彼らなんですが)、買い直しすぎ。一眼レフは自分たちも多少雑に扱っているが壊れない。コンデジ壊す私みたいな人でもきっと大丈夫(きっとそうなんだろうな、この人私のコンデジ壊したしな)。

そこで私は就職して最初のボーナスが出たら、一眼レフを買うのだと決めました。

ちなみに、時代としては、OLYMPUSが宮崎あおいさんを広告塔に据え、カメラ女子たるワードがようやく出てきた頃です。「山ガール」ブームのちょっと後くらいでしょうか。山に行って写真を撮ろうみたいなムーブメントが一部にあったように記憶しています。
また、アニメやゲームが一般に受け入れられるようになった2010年代になって、ようやく写真が趣味です、と人に言えるようになりました。

結局、大学の頃は、オートとかトイカメラモードでしか撮ってないんですけどね。

おわりに

大分長くなりましたが、コンデジとの付き合いの歴史、いかがでしたでしょうか。

振り返ってみると、ほんとに技術の進歩ってすごいなと思います。画素数だけで単純に比較することはもちろんできませんが、最初に購入したデジカメから10年ちょっとで300万画素→1660万画素に進化を遂げ、しかも安くなっていますからね。

あと、私カメラ壊しすぎです。わざと雑に扱っているわけでは当然ありませんが、それでもすべての子たちと相当に遊んでもらった感があり、みんなどうもありがとう、といった心地です。

社会人以降の記事は随時更新とさせていただきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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